保険代理店の選び方が変わる?「比較推奨販売」のイ・ロ・ハ方式を解説
- ほけんイージー編集部
- 8月8日
- 読了時間: 10分

保険業法における比較推奨販売制度の意義と導入背景
保険業法における比較推奨販売制度は、顧客本位の業務運営を推進する上で不可欠な法的枠組みとして位置づけられています。
比較推奨販売とは、乗合代理店が複数の保険会社の商品を比較し、その特徴や価格、保障内容などを踏まえて消費者に適した保険を提案する情報提供を指します 。これは、顧客が自らの意向に基づき、最適な保険商品を選択できるようにすることを目的とした販売手法であり、保険募集人には意向把握義務と併せて、適切な情報提供が求められています 。
この制度が本格的に導入された背景には、2014年の保険業法改正(2016年施行)があります 。当時、複数の保険商品を扱う来店型保険ショップなどの乗合代理店が急増し、市場の様相は大きく変化していました。それまでの主流であった一社専属の募集人とは異なり、乗合代理店は顧客に多様な選択肢を提供できるという利点を持つ一方で、新たな問題も生じていました。
具体的には、保険会社から支払われる手数料が高い商品を優先的に販売したり、多額のインセンティブを伴うキャンペーンが横行したりするなど、顧客の利益に必ずしも沿わない「歪んだ競争」が多発していました。こうした状況を是正し、募集人に対し顧客の意向に基づいた適切な比較推奨販売を促すために、「イ・ロ・ハ方式」というルールが導入されました 。
比較推奨販売の根底には、顧客の意向を正確に把握し、その意向に沿った提案を行うという「意向把握義務」が存在します。この義務は、単に顧客のニーズを聞き出すだけでなく、提案内容と顧客の意向が合致していることを顧客自身が確認する機会を設けることを求めています 。
しかし、2014年改正で導入された比較推奨販売制度は、この意向把握義務と根本的な矛盾を内包していました。特に、代理店の都合や事情に基づく推奨販売を認める「ハの方式」は、顧客の「真の意向」よりも代理店の利益が優先される可能性を常にはらんでいました。
この制度上の矛盾は、消費者保護を目的とした改正法の精神に反するものであり、後の損害保険業界における一連の不祥事を契機に、制度全体の見直しが議論される必然的な要因となりました。
募集代理店が選択する比較推奨方針:イ・ロ・ハ方式
保険業法は、乗合代理店が比較推奨販売を行う際の方針として、主に三つの方式を提示しています。これらは保険業法施行規則第227条の2第3項第4号に定められており、通称「イ・ロ・ハ方式」と呼ばれています 。
イ方式(比較説明)
イ方式は「比較はするけど推奨はしないよ」という、募集代理店が顧客の意向に沿って、複数の保険商品の概要を比較・説明する販売方法です 。
この方式の核心は、募集人が特定の商品の推奨を行わず、商品の特性、保険料水準、保障内容などの客観的な情報を網羅的に提供することにあります。最終的な商品の選択は顧客自身の判断に委ねられるため、募集人の役割は、顧客が自主的かつ合理的な判断を下せるよう、公平な情報提供者として機能することに集約されます。
この方式は、顧客中心の思想を最も純粋に体現したモデルではありますが、実務上は大きな問題をはらんでいるため採用している代理店は保険会社の乗合が少ない一部の代理店に限られます。
例えば、保険ショップなどでは20社を超える保険会社の商品を扱っているところもあります。顧客のため、と称して20数社の商品を並べて、果たして顧客は自分に合った保険を選べるでしょうか?20数社の商品を説明するのにどれだけ時間がかかるでしょうか?
この方式では取り扱い可能な保険会社の商品はもれなく提案することが求められますので、取扱商品数が増えるほど代理店も顧客も時間と労力を割くことになります。
ロ方式(顧客意向に基づく推奨販売)
ロ方式は「顧客の意向をよく聞きとってそれに基づいて推奨するよ」というものです。これは、募集代理店が顧客の意向を十分に把握した上で、その意向に最も沿うと判断した商品を推奨する販売方法です 。
推奨するにあたり、代理店は独自の選定基準に基づき、取り扱いのある全商品の中から最適な商品を絞り込みます 。この選定基準には、保障内容、保険料水準、保険会社の健全性、サービスの質などが含まれ、複数の要素を総合的に勘案して選定が行われるのが一般的です 。
この方式は、単なる情報提供に留まらず、募集人が専門的な知見や客観的なデータに基づいて、顧客にとっての最善策を提示するアドバイザーとしての付加価値を創造するモデルと言えます。今後、代理店が目指すべき「顧客本位の業務運営」の理想形に最も近い販売モデルであると評価されています。
ロ方式が「理想形に最も近い販売モデル」であるのにもかかわらず、ロ方式を採用している保険代理店が少ないのはなぜでしょうか?
確かに保険を検討する顧客にとっては理想ではありますが、代理店にとっては「売りたい商品を売れない」ということでもあります。保険会社の手数料は多くの場合、「手数料ランク」があり販売量に応じて手数料率が上がることが一般的です。保険代理店も営利企業ですので、当然利益率の高い(手数料率の高い)商品を売りたいと思うのは必然です。ただロ方式を採用してしまうとそれができなくなるというのが、理想とされるロ方式ではなく、代理店の事情で売りたい商品を推奨できる後述のハ方式に流れる理由です。
ハ方式(代理店理由に基づく推奨販売)
ハ方式は、「代理店が決めた方針で推奨するよ」という、独自の推奨理由や基準に従って商品を推奨する販売方法です 。この方式は、推奨理由が「代理店の都合や事情」であることを顧客に明確に説明することを前提としています 。
例えば、特定の保険会社と資本関係がある、長年の販売実績があり保全体制が整っている、自社の商品選定委員会で決定した、といった理由がこれに該当します 。この方式は、代理店のビジネスモデルを維持しつつ、推奨理由の透明性を確保するという目的で導入されました。
しかし、この方式は「顧客の明確な意向に基づく保険募集」を求める意向把握義務と根本的に矛盾するという、制度上の欠陥を最初から抱えていました 。代理店の都合が顧客の利益に優先される可能性を制度的に認めてしまう構造であり、この矛盾が、後の制度改正の直接的な原因となりました。
イ・ロ・ハ方式の具体的な適用事例と運用の実態
イ・ロ・ハ方式は、それぞれ異なる理念に基づいているため、実際の運用においてもその差異は明確に現れます。特に、ハ方式については代理店が独自に方針を決めるため代理店によってさまざまな推奨理由が書かれています。ここではハ方式を中心に推奨理由の事例を取り上げます。
● ハ方式の事例
ハの方式では、以下に示すように、推奨の根拠が代理店自身の都合や経営方針に置かれます 。
資本関係による推奨
「当社はA生命からの出資を受け、A生命のグループ会社の一員として事業を行っていますので、お客さまにはA生命の生命保険商品をご案内することとしています」 。
取扱実績による推奨
「当社はB生命の代理店として長きにわたる販売実績があり、保全体制も十分に整えていますので、お客さまへのサービスの充実の点からB生命をお勧めしています」 。
経営方針による推奨
「当社は、保障内容、保険料水準、保険会社の健全性、保険会社のサービス内容などを基に、半年に1回開催する商品選定委員会で推奨する商品を決定し、お客さまにご案内しています」 。
● イ・ロ・ハ方式の比較
以下の表は、各方式の主要な特徴を比較したものです。この表を通じて、それぞれの方式が依拠する推奨理由の主体が「顧客」と「代理店」のどちらにあるかという根本的な違いが明確になります。
方式 | 推奨理由の主体 | 顧客への説明内容 | 制度的特徴 |
イ方式 | なし | 複数商品の客観的な比較情報 | 顧客の自主的選択を支援 |
ロ方式 | 顧客の意向 | 推奨理由(顧客の意向に基づく) | 専門家としての推奨 |
ハ方式 | 代理店の事情 | 推奨理由(代理店の事情に基づく) | 代理店の都合に配慮した設計(今後廃止) |
制度改正の動向と代理店に求められる今後の展望
2014年改正で導入された比較推奨販売制度は、約10年の時を経て、その根幹から見直されようとしています。この変革は、保険業界における「顧客本位」の業務運営を真に実現するための、歴史的な転換点となる可能性を秘めています。
ハ方式の事実上の廃止へ向かう動き
2024年の臨時国会に提出された保険業法の一部改正法案は、ハ方式、すなわち「保険代理店の都合・理由による比較推奨販売」を事実上禁止する方向性を打ち出しています 。この見直しの最大の要因は、ハ方式が「顧客の明確な意向に基づく保険募集」を求める意向把握義務と根本的に矛盾する制度であったという点にあります 。
ハ方式の存在は、顧客の利益よりも代理店の都合が優先される余地を残しており、この矛盾に終止符を打つことが、消費者保護の観点から不可欠と判断されました。
この改正が成立すれば、代理店が「自社の取扱件数が多いから」「既存契約の更改だから」といった代理店自身の事情を理由に特定商品を推奨することが原則禁止されます 。特に、多くの損害保険代理店で慣行となっている、満期更改時に「前年と同じ保険会社を推奨する」というやり方も、今後は通用しなくなる可能性が高いと指摘されています 。
これにより、保険代理店の販売の根拠は、代理店の都合から顧客のニーズへと完全にシフトすることが求められることになります。これは、保険販売の基準を「なぜその商品を推奨するのか」という問いに対して、客観的・中立的で、かつ顧客の利益に基づく理由を説明する義務を課すものであり、代理店に「顧客本位」の業務運営を真に実践するよう促す、パラダイムシフトの端緒と言えるでしょう。
新たな監督指針と「便宜供与」禁止の厳格化
ハ方式の廃止という内発的な動機を排除するアプローチと並行して、外部からの圧力を排除するための規制強化も進んでいます。2025年5月12日に公表された「保険会社向けの総合的な監督指針」(案)は、保険募集人が複数の保険会社から「過度な便宜供与」を受け、それが比較推奨販売に影響することを防ぐための具体的な義務を定めています 。
この監督指針(案)によれば、代理店は便宜供与の定義に関する社内ルールを策定し、受け取った便宜が比較推奨販売に影響を与えていないかを「確認・検証」する体制を構築しなければなりません 。さらに、検証の結果、影響が認められた場合には、経営陣が対策を評価・検討し、改善措置を講じるシステムを整備することが求められます 。
また、注目すべきは、金融当局による監督方法の厳格化です。従来の、問題が発見された場合に報告を求めるという受動的な対応から、今後はオフサイトモニタリング(ヒアリングなど)やオンサイト検査を通じて常時監視する体制に移行するとされています 。これにより、不正や不適切な運用が発覚した場合には、行政処分が課される可能性が高まります 。
ハ方式の廃止と便宜供与の禁止という二つの規制強化が同時に進行することで、代理店は顧客の利益を最優先する販売プロセスを構築せざるを得ない状況に置かれています。これは、顧客本位の業務運営を強力に推進するための、多層的かつ包括的な規制戦略であると捉えることができます。
比較推奨販売の未来と保険代理店の新たな役割
比較推奨販売制度は、2014年の導入から現在に至るまで、市場の変化と規制の不備という両面からの課題に直面しながら進化を続けてきました。ハ方式の廃止と便宜供与の禁止は、代理店の都合や外部圧力に左右されない、純粋に顧客の利益を追求する販売モデルへの転換を促す、極めて重要なステップです。
今後の保険代理店に求められるのは、単に商品を比較する仲介者ではなく、顧客の人生設計に寄り添い、その「真の意向」を深く理解した上で、自らの専門性と客観性を担保に、最適な選択肢を提示する「信頼されるアドバイザー」としての役割です。
この変革は、営業現場に一時的な負担増をもたらす側面もありますが、長期的には保険業界全体の信頼性向上と、代理店自身の持続的な競争優位性の確立に不可欠な道筋です。真に顧客本位の販売プロセスを確立することが、未来の保険代理店の新たな役割であり、市場における存在価値を決定づけるものとなるでしょう。